2009.11.27
もう、定演終わってるじゃあないか!でも書きます(というか引用です。申し訳ない)。
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虹彩は2006年、京都教育大学マンドリンクラブ第47回定期演奏会において初演された。
曲は展開部的な性質の中間部を有する三部形式によるが、2つのモチーフと1つのテーマ、および作者の前作である「雨の世界」と「光彩」の引用によるエピソードという多彩な音楽要素が絡み合い、様々な響きを示している。上昇形の「雨の世界」のモチーフはおそらく雨が上がる描写であり、その後に光が差し、虹が現れるという様子が描かれる。また、2度の進行による響きの変化が全曲を支配しており、それが光をプリズムに通したように、様々な色を聴くものに見せる。
?― 作曲者記 ―
自然に見える景色の中で、虹は
その鮮やかな色彩、
一瞬にして現われ消えてしまう儚さ、
空いっぱいに広がる壮大さ、
一方で小さく、触れることが出来そうなくらい身近にも見ることの出来る
とても不思議な存在だと思います。
この曲は私が虹に感じる色彩や想起される感情を曲想としています。
本来は、人間の瞳の色を決定し、目に入る光の量を調節する部分の事を「虹彩」と呼びます。
この曲名には虹を見た一人の人間の心象であるという意味を込めました。
とのことでした。奥の深い曲です。
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今後の連載ですがたまにはやろうと思います。
サークルに保管されている楽曲データは結構あるので聞いた感想とかを書き込んでいきたいです。
音楽の道も日々是精進ですね。
2009.11.13
最近、サボり気味でしたがとりあえず三部の楽曲については定演までにすべて上げたいものです。
それでは、丸本大悟氏について今回は見てみましょう。
(以下HPを参考にしています)
丸本大悟氏は1979年大阪に生まれ、5歳よりエレクトーンと楽典の基礎を学びはじめました。
マンドリンを始めたのは大学在学中であり、龍谷大学マンドリンオーケストラマンドラ首席奏者となりました。その後ARSNOVA Mandolin Orchestraでマンドラ奏者となり、
現在はARTE MANDOLINISTICA 及び ARSNOVA Mandolin Ensemble にて同じくマンドラ奏者として演奏を行っています。
作曲活動は高校よりはじめ、ARSNOVA解散公演の為の「ARSNOVA組曲」「組曲『杜の鼓動』」をはじめ、数多くの作曲委嘱を手がけ、作品にはマンドリンオーケストラ曲の他、アンサンブル曲、独奏曲、編曲作品などがある。
2006年、第2回大阪国際マンドリンコンクール作曲部門にて独奏曲「Four Preludes」が入選、アンサンブル曲「光彩」が第3位入賞。
マンドリン、マンドラを井上泰信氏に師事し和声法を久保田孝氏に師事しました。
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昨年はうちのサークルでも上記にある「組曲『杜の鼓動』」の第三楽章「街の灯」をやりましたが、月並みな感想ですが「すごくいい曲」でした。難しい曲なのですが・・・。第一楽章から第三楽章まで聞けばわかりますが、非常に情景が浮かぶ、ただ聞くだけでもたのしい曲です。非常にメロウなフレーズから緊張や激しさに満ち満ちた部分まであり、やはり第三楽章は組曲の最後にふさわしい曲です。
弾く方とすると、常によい緊張感を持ちながら弾ける曲です(私はそれどころではなかったですがね)。というのも、似たようなフレーズが使われているため、そこの表現をどうするかに気をつける必要が常にあるからなんですが、曲の持つ緊張感がそのまま来るという感じかも知れません。
さて次回は「虹彩」についてです。たぶんあっさりとしかかけないと思いますが・・・
2009.10.30
最近畜大でもインフルエンザが流行していますが、昨日マンドリンサークルでもインフルエンザの感染者が出たため、学校側からの自粛要請もあり活動を一時休止することになりました。
今後はとりあえず様子を見てからの判断になるそうですが、風邪の症状が出たら自己判断で自宅療養をして、再開後は感染者が増えないように部員各自が気をつけあう必要があります。
全体練習はありませんが、各自判断で練習を行い、定演に支障が出ないよう対応していきます。
OB・OGさんもどうぞ気をつけてください。
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タイトルとは関係ありませんが
来週から練習場所が変わります。
11月をもって学館と第二サークル棟が閉鎖・改修を行うため、今まで学館で練習してましたが、講堂および合宿棟が練習場所になります。
学館も相当古かったですが、ついに改修です。
私はまだ二年しか使ってませんが、記録を見る限り創部以来ほとんどの活動がこの学生会館で行われてきました。
部室ともども、古くていろいろ不便なところはありましたが、活動には不可欠な場所として使わせていただいてきました。
そんな学館に感謝をしたい。
加えて、引越しに伴って資料等も整理しました(アルバムとか部報など)。
これは、定演の会場で展示いたします。
2009.10.27
今回は?「マンドリンの群れ」 “I Mandolini a congresso!” pezzo sinfonico?について
ブラッコが?ジェノヴァ のマンドリン団体で指揮をしていた時、このクラブのメンバーに捧げたのが「マンドリンの群れ」です。マンドリン(1st・2nd)・マンドラ・リュート・ギターの弦楽5部からなる曲です。1902年?にはトリノ におけるマンドリン雑誌『イル・マンドリーノ』の第6回作品コンクールにおいて金賞を獲得しました。
同年6月に出版されてからは欧州各国のマンドリンオーケストラによって演奏されるようになりました。
表題に掲げたように「マンドリンの群れ」が一般的な日本での名称ですが、「マンドリニストの群れ」も多く使われています。調べてみると直訳的には「マンドリン達の会合!」とか「マンドリン達の決闘!」、意訳すれば「集え!マンドリン達」「マンドリンのつどい」わずかに使う団体もあるようです。
個人的には「マンドリンの群れ」と呼ばれると、なんだか演奏会場にマンドリンが殺到している情景が浮かんだり、マンドリンが群れを成してうごめくようなイメージを持つのですが、ほかの人はどうなんでしょう。
ちなみに後に続く「sinfonico」とは後にイタリア式序曲に発展した16世紀前半以前の交響曲の形式に依拠した急?緩―急の3部構成の楽曲のことらしいです。
この曲はその当時見るとかなり独創的なものだったようです。
マンドリンのトレモロとピッキング、2つの奏法の見せ場を設け、旋律のすぐれている事、シンコペーションを多用しテンポの変化に富んでいる事、マンドリン・ギターによる楽器のコンビネーションの巧妙なことはマンドリン楽曲に影響を与えたようです。
1909年フランスの?ブリュゴーニュ において催された国際競演会では最もすぐれた作品として推薦されたことによって、一層価値を再認識され、社会人から広く学生団体にいたるまでディレッタントの入門曲として広く演奏されるようになり、日本でも戦前より各地で演奏されています。
2009.10.23
さて、何人見てるかわからないこの記事ですが、少し部員のためになるであろう記事をこれからは少しずつUPしていこうと思います。
今回はカルロ・アルベルト・ブラッコ(Carlo Alberto Bracco)についてのお話です。
今回の定演・三部の曲である「マンドリンの群れ」 の作曲者です。
彼は1860年にイタリア北部に生まれ、1905年ジェノヴァで亡くなりました。マンドリンだけでなくヴァイオリン、指揮、当然のことながら作曲も行っていました。
詳細な経歴についてはあまりわからないようで、本名ですら以前はC.Adolfo Braccoとされていました。(後にイタリアのマンドリン教授U.オルランディ教授の調べでCarlo Alberto Braccoが正しいということになった。)
マンドリンに関する作品は約20曲ある一方、作品番号は98まで知られていて、未出版・未番号の曲も多く存在することがわかっています。
作品の多くは小編成のアンサンブルやデュエット曲と言われており、今回演奏するま「マンドリンの群れ」が最も編成の大きなもののようだ。他には『闘牛士』や作曲家ワルトトイフェルに捧げた『ワルツ組曲』などが主要作品で、いずれも低音楽器を補足して合奏形式で演奏される事が多いようです。
さて、はっきり言って書くことがもうないのです。1902年「マンドリンの群れ」が発表されますがこれが世界的にも認められる作品となりました。
次回はこの曲について少し書きます。